あけましておめでとうございます。
2025年、巳年がスタートしましたね。
2024年の振り返りは2024年中にしたかったのですが・・・
色々あり、気がつくと新年になっていました。
一年前までは、大手飲食店社員だった私。
2024年の中だけで、休職から転職、実質クビからのフリーター。
そして一年の最後に、5年以上お付き合いした人との別れがありました。
【人生は小説より奇なり】とは、よく言ったものだ・・・
そう感じた1年でした。
2024年に学んだこと
- 人を見る目をもっともっと磨く
- 社会は思っているより怖い人がたくさんいる(守られていた)
- 生計は2本柱にしたほうが良い
- お金の勉強をするべし
- どんなにピンチでも、つらくても、手を差し伸べてくれる人はいる
- 自分自身も手を差し伸べ続ける人間になりたい。
- 大切なもの・ことってそこまで多くない。
- 何かを得るには手放す痛みも必要。
休職からの、別業態への転職。
2024年頭、人生初の転職をしました。
もともと勤めていた大手飲食店を、2023年8月から休職。
12月に入る頃、別業態での打診があり、タイミングが良かったこともあり、そちらに転職することに。
それと同時に休職期間も終わり、社会復帰。
「絵を眺めながらお酒を飲む」という、地方では珍しいコンセプトのお店への転職でした。
転職先のIT企業の激ヤバ社長からの学び。
仕事自体は、知り合いから頂いたお話でしたが、
実際に店舗を運営するのは地元のIT会社だということを後に知ることに。
まあそういうこともあるよね〜くらいで仕事を始めた私でしたが、
これがま〜〜トンデモナイ出会いでした。笑
- 社会には、他人に真摯に向き合わないヤバいやつがいる!!
- 経営者の中には、他人を何とも思わないサイコパスがいる!!
- 会社選びは本当に慎重にしたほうが良い!!
- ログを残したがらない人間とビジネスはしたらいけない!!
- ビジネスにおいて、優しいだけではバカを見ることがある!!(気づくの遅)
と、まあ軽くあげただけでも、これだけ・・・
こんなにハードなイベント、なかなか経験できないと思います。
2/14にオープンするも、丸投げノータッチ
私と社長の間に、現場マネージャー的に間を取り持ってくれている方がいました。
その方とともに、2月の頭くらいからオープン準備をはじめ、
3月オープン予定だったところを急遽前倒し、2/14に。
「新規オープンにそんな短い期間で準備することあるかい!」
そう思いつつ、無事にオープン日を迎えます。
その間も、IT社長は店の商品やレイアウトもこちら任せで、
「やりたいようにやっていいよ!」と完全に丸投げ。
この頃は、「お金は出してくれるのになんでもいいって言うの、さすがIT業界はお金持ってんだなぁ〜〜」
くらいにしか思っていなかった自分にビンタしたい!笑
店舗の営業期間は2/14〜4/30の何と2ヶ月半!
店舗が営業できた期間は、なんと2/14~4/30の2ヶ月半のみ!!笑
オープン後、早々にマネージャーと社長の間の雲行きが怪しくなっていきます。
蓋を開けてみると、
賃貸の契約者(マネ)と運営者(社長)が異なっていたり、
あらゆる重要事項を口約束で行っていたり、
あまりにもずさんすぎる契約の元で、この飲食店がスタートしていたことを後から知りました。
それとともに、会社側のやる気もどんどんなくなっていることを察していきます。
(インターネットを頑なに契約してくれなかったことには、唖然・・・)
お店に来てくれるのも、元々の私の常連様ばかり。
入りにくい外観のお店なので、一見のお客様はほとんどいらっしゃいません。
それにも関わらず会社は何の手も打たず、当然売上なんてものはほとんど立ちませんでした。
突然の「撤退・事実上のクビ」宣告!
とはいえ、私は目の前のお客様を大切に、営業をしていこう!と気持ちを切り替えて営業していた3月4月。
突如、
- 「来月に運営から撤退する」
- 「このお店は引き継げるなら譲っても良い」
- 「どちらにせよ、早めに身の振り方を考えて」
という旨の告知を口頭でされました。
「2月にオープンしたのに、もう?!」
「飲食辞めたくてクビにしたいけどできないから、言ってるやつやん!笑」
もう呆れて物も言えないというのは、まさにこのことでした笑
メールなどは一切残さない徹底ぶり。そして連絡が取れなくなる
その後、引き継ぐ旨も一旦連絡したのですが、
全く連絡が取れなくなります。
代わりに部下の人が連絡をよこしますが、
「やはり引き継がせない・会議室などとして引き続き利用する」
と当初の告知の内容を180度ひっくり返してきました。
しかし、思い返せば、告知は文章に残さず、口頭のみ。
あとに待っているのは、言った、言わないの水かけ論。
これはしてやられたな、と思いました。
一時はお客様のために引き継いでいきたいと思っていたお店でしたが、
こんなひどい会社のために弁護士を雇ったり、労基に行ったりする労力がアホらしい。
引き継いだところで、どんな嫌がらせをされるか分からない。
はらわたが煮え繰り返るほどの悔しさを飲み込み、そのまま退職メールを送りました。
大切なやりとりは全て、メールなどの文書に残さないようにしている徹底ぶり。
思えばマネージャーとのやりとりも、そのように口約束で曖昧にし、最終的にこちらが泣き寝入りせざるを得ない状況にしていました。
長くなりましたが、
社会にはとんでもない悪いヤツがいるもんだなぁ、と
大変勉強になった出来事でしたね・・・
無職からの掛け持ち激務フリーター。
そして、勢いで退職メールを送ったものの、
当然待っていたのは「ほぼ無職」。
ほぼ、というのは、幸か不幸か、
3月末から副業のお弁当販売のアルバイトを並行してやっていたから。
とはいえ、一日3時間ほどのスキマ勤務だったので、
これでは生活費が足りない足りない!
退職と同時に、indeedとタウンワークで仕事先を探しまくりました。
タイミーで食い繋ぐ。
スポットバイトアプリといえば、「タイミー」。
怒涛の面接期間中は、こちらで様々な飲食店にお世話になりました。
飲食店歴が長いとはいえ、経験した業態の種類自体は少なかったため、
なんだかんだ色んな飲食店をかじることができて楽しかったです。
居酒屋、日本料理、カフェ、高級なコース料理のお店・・・
ありがたいことにレギュラーの打診を頂いたお店も多く、
しっかり真面目に働くことの大事さというか、そんなことも改めて感じました。
仕事がなくなるのが怖くて、仕事を入れまくる。そして体調を崩す。笑
無事、1番良いなと思っていたお店の面接に合格しました。
フルタイムで、社保も入れてくれるとのことで、少しほっと胸を撫で下ろします。
しかし、オープニングスタッフのため、実際のオープン日は少し先。
仕事がない状態が恐怖に感じるように。
タイミーで仕事の募集がかかるたびに応募していたら、
逆に超激務に。気付いたら21連勤とか・・アホすぎ!笑
バッチリ体調を崩し、計画的に休むことの大切さを知りました。
ステキな職場に恵まれる。
前から続けていたお弁当販売の職場も、
無事合格したコース料理のお店も、
本当に働いている人たちが素敵な人たちばかりで。
こういう運は持っているんだよなぁ、と改めて自分の運の強さを感じます。
(年初めに変な会社に引っかかったのはおいておいて。笑)
夏から秋にかけては、マニュアルから何もかも決まっていないことも多い新店舗で、
スタッフのみんなと相談しながら、1からお店を作っていくことの難しさを学ばせていただきました。
将来の夢のうちの一つに、「自分で飲食店をやること」があります。
以前の職場では、店長として4年間経験を積みましたが、
いちスタッフとしてオープニングに携わることは初めてでした。
そのため、「スタッフはこんな気持ち」「こういう部分に不満を感じる」「こうされると嬉しい」など、
自分で実際に感じることができたのは大きな経験の一つになりました。
約6年お付き合いして、結婚間近だった人とお別れ。
休職の影響は2024年もまだあったように思います。
ちょこちょこ体調を崩しながらも、
仕事先のみんなに甘えさせてもらいながら、何とかお仕事を続けられていました。
そんな中で無事迎えた12月。
飲食店の繁忙期といえば12月ですので、
今年は走り切るぞー!と気合を入れて過ごしていた12月なかば。
約6年お付き合いしていた人と、とある出来事がありました。
その出来事きっかけで私は実家に避難することになり、
周りの人にも相談して、お別れすることになりました。
問題の出来事から、お別れまでの期間はわずか10日ほど。
お別れしたのはクリスマスイブ。
映画みたい。笑
この日にプロポーズをする予定だったんだって。
これまた映画みたい笑
ずっと一緒に過ごしてきたのに、終わりはあまりにもあっけなかった。
親と友達、仕事先の人たちに支えられて乗り越える
きっと実家が近くなければ、
信頼できる仕事仲間や友人がいなければ、
この決断はできていなかったように思います。
私の周りの人たちは、色々な言葉や考え方を投げかけてくれましたが、
共通していたのは、
私の気持ちを1番に尊重してくれていたこと。
- 「どんな選択をとっても、あなたの選択を応援するよ」
- 「間違った選択はしてほしくない。でも、間違った選択をして間違っても良いと思うよ。それがきっと、人生の色になるよ。」
- 「一回冷静になって、あなたが幸せになる道を迷わないでほしい」
それぞれが、そんな言葉をかけてくれたこと。
私の心にしっかりと刻み込まれたことばたち。
友達は少ない方だけれど、人生の岐路で、このように寄り添ってくれる人たちがそばにいることは本当に幸せなことだと、今、噛み締めています。
宝物のような6年間
大切な人との時間は、終わりを迎えてしまった。
正直、まだ実感がないだけで、あとからじわじわ来るのかもしれない。
ただとにかく、とてもとても悲しくて、盛らずに2年分くらいはわんわん泣いた。
時は戻らない。
もう元の関係値には戻れないけど、
その人がいなかったら私は今ここまで元気に過ごしていないことも、また事実で。
たくさん笑って、たくさん美味しいものを食べて、コロナ禍も乗り越えた6年間は、
自分にとって、本当に大切な宝物。
ここまでの私にとっては、ありがとうがいくつあっても足りない、最高のパートナーでした。
この思い出は宝物のまま、しまっておこうと思う。
ふるい落とした2024年、自分を好きでいる2025年
大手飲食店を辞め、IT会社経営の飲食店も辞め、
会社から離れた。
「宵越しの金は持たない」主義だった自分が、休職&引越し&転職で、生活に困り、
節約を覚え、お金の勉強をした。
いらないものを売り、無駄なものを少しずつ削ぎ落とした。
常に一緒にいた、これからも共にあると信じていた、大切な人を失った。
残ったものはそう多くはない。
けれど、手を離せば離すほど、大切なものがだんだん浮き彫りになってきているような感覚がある。
先生に好かれようとする子供だった。
他人と違うことに、心の中でびびっている子供だった。
「普通」であることに対して、強迫観念のようなものがあった。
「恥ずかしい」という感情に過敏で、いけないことだと思っていた。
さっぱりしているようで、内心くよくよしている。
そんな自分が嫌で、別の性格になれたら良いのにと何度も思ったことがある。
心の病気を患ってから、さらにそのような考え方が加速したような気もする。
毎日のようにそう思ってしまうけど、
思えば、まだまだ自分のことを大切にしてあげられるんじゃないか。とふと思った。
今の職場の人たちが、「自分だーいすき!」と言っているのを聞いて、羨ましかった。
そんな堂々と口にしたことは、一度でもないと思う。
私は何よりも先に、「自分自身を好きでいてあげる努力」をしないといけないのかもしれない。
2025年は、自分を1番可愛がってあげる1年にできたらなぁ。と思います。
甘やかす、ではなくね。
【蛇足】心の悩みとは、全て自分に責任がある、らしい
『30代で思い通りの人生に変える69の方法』という本を読みました。
私はこういう「人生を変える」系の本にいい印象がなく、ほとんど読んだことがありません。
しかしいつだったか、好き嫌いはよくないと思い、試しに読んでみたら、これがなかなか面白い本でした。
その中で、当時の私自身の心身の状態、受け入れ態勢にビビッとヒットした言葉がありました。
56「悩むこと」をやめなさい
人間関係で心の悩みを抱える場合もありますが、すでに述べたように、それは悩むまでもないことです。…(中略)…そもそも、心の悩みというのは、他人に原因があるのではありません。全て自分に責任があり、自分が悪いのです。その理由は…(中略)…悩むという行為は、全て自分の心でやっていることです。したがって、「やめよう」と本人が思えば、本来簡単にやめることができます。…(中略)…やめられないのではなく、やめ方を知らないだけです。
(『30代で思い通りの人生に変える69の方法』より引用)
57 仕事や嫌で嫌でたまらないと、病気になろうとする
「私の場合は精神的な病気です。自分でそれをやめろと言われても、そう簡単には行きません」
中には、こんなことを言う人もいます。その代表は、うつ病でしょう。うつ病は病気なのだから自分ではどうしようもできないと、錦の御旗を掲げるわけです。
仕事上や人間関係の悩みもそうですが、じつはうつ病も、自分で起こしています。それどころか、心のやまいをかざす人は、自分でそれを起こしたいから起こしているといえます。…(中略)…本人とすれば何か大変なことが起きていると思うのでしょうが、要するに、それは仕事が嫌で嫌でたまらないということから始まっていきます。…(中略)…そういう嫌いな仕事を選択した自分が病気の原因になっているわけです。もちろん、生得的原因を含めて、他の要因を否定するわけではありませんが。
▶︎やりたくない仕事はやっぱりやってはいけない
(『30代で思い通りの人生に変える69の方法』より引用)
ほんと、うつ病真っ只中の人間に見せちゃいけない文章だなぁ笑
なんて思えるくらい、もう元気に普通に暮らしているのですが、クヨクヨ癖がまだしぶとく残っている気がしています。
そんな心の状態にある中で、
「悩みも心の病気も、自分自身が勝手に引き起こしているものなんだから、あんたに原因があるんだよ。何やってんだ。逆にいえば、簡単に治せるってことよ。わかる?」
そんな風にバサッと気持ちよくぶった切ってくれたことが、自分の中での気持ちの転換点になりました。
こんな風に、本から自分を元気付ける一歩をもらいました。
ということで、2025年は、本を読む1年にしたいと思います。
良い年にしたい!
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