11/13。
今日は仕事を早上がりさせてもらって、
父と、父の同級生と、なぜかスナックで飲んだ帰り。
ほろ酔いで今日の日記を書いてみる。
先日、家族のやりとりの中で、こんなやりとりがあった。
「古臭くなる作品と、普遍的な作品って何が違うのか??」
深夜に突然弟から送られてきたLINE。
やりとりの中で、印象的だった母からのLINEがありました。
それは、「人間は考える葦である」の続きのフレーズについて。
パスカル「人間は考える葦である」の続き
中学校の時、歴史の教科書で習ったフランスの哲学者パスカルの言葉。
「人間は考える葦である」
これは、多くの日本人が学校のテストで見かけたであろう文章だと思う。
植物の中でも、か弱い「葦」に人間をたとえた言葉だけど、
母はその先について家族LINEで述べていた。
「人間を押しつぶすためには、宇宙全体が武装する必要はなく、蒸気や一滴の水でも人間を殺すことはできるだろう。
もし宇宙が人間を殺しても、人間は尊い。なぜなら、人間は自分自身の死を理解している点で、宇宙よりも尊厳のある存在と言えるのだ。
人間の尊厳は、全てその思考の中にある。よく考えることに努めよう。考えることにこそ、道徳の原理があるのだ。」
へー。そんな続きだったんだ。
1番有名な文章のその先って、素晴らしい文章が続いていることが多いけれど、
ブレーズ・パスカルの続きの文章も、例に漏れず。って感じですね。
こんな風に軽く書いてるけど、実は紹介された時、結構感動してしまったんだよね。
人間の弱さと思索・思考の偉大さ
人間は弱い。
脳をはじめ急所を撃ち抜かれたらすぐに死んでしまうし、
すぐに身体も壊すし、すぐに思い悩んでメンタルも病む。
なんでこんなことで・・・って本人は大真面目で悩んだりする。
美味しいものを食べればハッピーになる。
誰かが亡くなったら悲しむ。
人間は、感情や思考に左右されておおいそがし。
「動物」というカテゴリに属する以上、
「お腹すいた」「眠りたい」といった本能は根強く残っている。
動物であれば、それ以上の感情や思考は生まれないはず。
にも関わらず、
人間は自分で思考することにより、
子孫の誕生を祝い、
人の死を悲しみお墓を立てる。(世界のお墓事情や歴史についてもいつかどこかで触れたい、、、)
もし宇宙が人間を殺しても、人間は尊い。なぜなら、人間は自分自身の死を理解している点で、宇宙よりも尊厳のある存在と言えるのだ。
宇宙と比較したらアホみたいにちっぽけな我々。
それでも「思考ができる」人間は尊いと1600年代に言い切ったパスカル。
400年以上も前に、このように言い切れるパスカルさんは、改めてスゴイ人なんだなーと中学生レベルの感想に立ち返りました。笑
なんかもう少し言いたいことあったんだけど、
お酒が入ってるので、こんなところで・・・
コメント